はじめまして。突然ですが、僕の見解です。
です。もしドラを持ってきて、親にポンでもされたもんなら、どう皆さんに責任をとるんですか……。 異国で現在、麻雀が打てない馬鹿さんより。 |
在庫一掃セールの最終章は、ぱんじさんのものです。韓国から参加ということで、デミさんといいケニーさんといい、なんだかここも国際的になってます(笑)。あ、ぱんじさん、韓国には麻雀ってないの?
さて。
ぱんじさんの意見を総合すると、
勝負の時以外は親をマークしてダマ。親の時は逆に積極的にリーチ
ということでしょうか。
特に受けを重視するという点で、かなりオリジナル度は高いと思います。やはり親は脅威ですからね。
で。
上記の投稿なんですが、いくつか白砂は追加の質問をさせていただきました。ここから先は、追加質問とその答えを紹介しつつ進めていきたいと思います。
まず1つ目。
というのはどういう意味なんでしょうか? |
これは以前、展開論のところでも出てきたように思いますが、もしも本当に「皆で親を落とそう」とするんであれば、リーチに差し込んでくれますよね。むしろダマにしている場合にテンパイを察してくれないケースもあるでしょう。とすると、サシコミを考えるのであればむしろリーチでは? というのが質問の主旨です。
この質問についてはこんな回答をいただきました。
僕はリーチという「見えないからこそある力、点数」はやはり他家を圧倒すると思うんです。 |
なるほど。
状況的に言うと、誰もテンパイしていない状態ですよね。で、自分は平和のみをテンパイした。そしてリーチ。ここで親が追っかかった時、2人リーチに対してカメになるだろうと。
それよりは、ダマにしておいて親が来る前にさくっと流しちゃった方がいいだろう、と、そういうことですね。
ただ、やっぱりダマにしていても「察して」はくれないと思います。というか、ぱんじさんもそれはそもそも期待していないようですね。「察してサシコミ」ではなく「他家からこぼれる牌をさくっといただく」感じでしょうか。
次の質問です。
というところ。 ドラ みたいに、「組み込めるのにそれを待たずにリーチ」というのであれば、それはどうなんだいと思っちゃいますけど。 |
これに対しての回答なんですが、
これはもちろん手変わりを期待できることと、かつドラの字牌が見えてない時です。特に字牌のドラがまったく見えてないときは僕は細心の注意を払うように心がけますが。以上の条件をクリアしてのリーチでしたら親に向かって行ってるんですから堂々と勝負できますよね。
ということでした。
ドラの字牌はやっぱ脅威ですよね。
ただ、白砂はどちらかというと攻撃重視型なんで、こういう発想はあまりしません。そういう打ち方を問題視するということはありませんが、麻雀はトップを取るもの、という発想があるので、できるだけ行く時は行きたいんですよね。特にこの状況の場合、親は「生きてるか死んでるかも判らない」状況です。こんな場合、白砂なら行きます(笑)。そして死にます(爆)。
ただ、常に親に注目して場を回していく姿勢は大事だと思います。これも前頁のりゅうさんの話と同じく、普遍的な法則として認識しておく必要があるでしょう。
りゅうさんからも質問が届いてます。
「倍満打ってもやむなし、ぐらい競り勝ちたいとき」って、どうゆう状況なんだろう? |
とのことです。
ま、倍満打ってもというのはよく使う景気づけの言葉ですけどね(笑)。
ぱんじさんの回答は、
ええと、「倍満打ってやむなし」の意味は、相手の点数が明らかに高そうでかつ勝負する場合、その際の気合の表現と、打っても次の局に後悔しない気持ちをもちたいって意味をだしたかったんです。 |
やっぱそうですよね。気合ですよね。
まぁ気合というと根拠レスな表現ですが、要するにこちらの点棒があまりなく、ここは一発勝負して挽回しないといけないといった「勝負所」という意味でしょう。そんな時は倍満どころか役満打っても仕方なしというもんです。まぁ、その勝負所の判断が正しかったかどうかという検証はしないといけないんですけど……(笑)。
ただ、気合という点と深く関わるんですが、白砂は相手が倍満見えててもリーチにいくときはのみでも行きます。さすがにダマで拾えそうな時は考えちゃいますけど、基本的には「倍満テンパイがオリるわけなし。そっからアガリをぶん取る!」という発想をします。いや、これはギャグではなく。
元々失点気味なんですから、せっかくの親ですしここは勝負と行きたいです。リーチをかければ常にマンガンクラスの可能性は残ります。ですから、チンタラアガリを拾って連荘より、ここは怒涛の如く攻めたいです。
とりあえず在庫一掃セールはここまで。
個人的には、白砂が書いた平和リーチ判断論の反響が欲しいです(<自分のことばっかかい(笑))。
掲示板までよろしくお願いします。