詰将棋の名手内藤國雄の詰将棋集。
「図式」という言葉には、江戸時代の名人が将軍様に奉げた「献上図式」で知られるように、「自分の持てるもの全てを駆使して作り上げた作品」という意味合いが辞書的な言葉の意味以上に強く感じられる。著者が「図式」という言葉を敢えて使ったのもそのためで、この辺は前書きに詳しい。
箱入り豪華装丁で税込み3,990円というのは大層なものだが、それなりのものに仕上がっている。
内容的には、自身が前書きで触れている通り実戦形が多く、個人的にはちょっとなぁ……という気がした。
それこそ『図巧』『無双』のような構想作や難解作てんこもりの「図式集」であってもよかったはずだ。もともと詰将棋のような解答のさせ方を考えて作っている本ではなく、あくまでも鑑賞主体の「詰将棋」なのだから。
この点は某詰将棋作家氏の意見に同意なのだが、だからといって本書が「くだらない作品ばかり収録されたそこらのえらく高価な作品集」とまではさすがに言えないと思う(←違うものを指していたらごめんなさい)。白砂の勘違いであればいいのだが、あまりの言い方なので少し気になった。まぁ個人の感じ方だから別にいいっちゃあいいんだけどね(笑)。
以下は正に個人的な話を。長いよ(笑)。
白砂がはじめて「詰将棋」というものに触れたのは、内藤9段(この言葉がしっくりくるのはやっぱこのあと無意識に「将棋秘伝」と続いちゃうからかなぁ(笑))の著書だった。
本書でも触れられている筑摩書房の現代将棋全集。この「図式集(中)」の著書が内藤9段だったのね。
何度かこの欄で触れているように、白砂が子供の頃、市立図書館ができたのが小学5年生のとき。将棋の本も片っ端から読み漁って、大体読み尽くしたぞ……という時、書架の最上段の豪華装丁本が目についた。全集だったんで、場所を喰うから大体こういうのってのは最上段か最下段に置くんだよね図書館ってのは(笑)。
そこで書かれていたのが、内藤9段が子供の頃に出会ったという図巧1番の話。
見るからに難しそうな詰将棋に出会い、図面を覚える少年。詰まそうとしても判らなかったんで今度は解答を覚えるために立ち読みに通い詰め(笑)、飛打ち飛合での打歩詰打開に驚愕する。そして(本書には書かれていないが)、その作品を自作だといって兄達に見せ、「うぅむ、國雄は天才や」と言われるところまで、解説を含めてその本は何度も何度も読んだ。
白砂もちょうど小学6年生の12歳。これは運命的でしたよホントに。
そこからやっぱり白砂も子供ながらに詰将棋作成を始め、とはいっても棋力が5級くらいだったからたいした作品も作れなかったんだけど(笑)、その頃の創作ノートは今も大切に持ってます。
「詰将棋」という、将棋ではあるけども全く違う世界への興味を広げてくれたのは、間違いなく内藤9段だった。