高橋は以前にも同じようなコンセプトで『駒落ち新定跡』という本を書いている。そのときは矢倉・三間飛車穴熊・四間飛車だったが、今度は棒銀と中飛車である。
棒銀、という言葉を目にしたとき、反射的に「そりゃまずいだろう」と思った。玉を囲わず突進する定跡を解説していると思ったからだ。しかしそんなことはなく、4枚落ちより上ではしっかりと矢倉などに囲っていた。矢倉囲いを手順通りに組む、というのは初心者には実は結構ハードルが高いので、駒落ちのうちからやっておくというのはそれはそれでいいのかもしれない。
中飛車のほうも、基本的にはちゃんと美濃囲いに組んでから攻める。飛車落ちの穴熊はちょっとやりすぎだろうという気もしたが、まぁ上手の形に呼応して、ということでもあるので、現代将棋の「余裕があったら穴熊」に通じるものがあるしこれはこれでいいのかもしれない。
と、なんとも歯切れの悪い解説で申し訳ないが、批判的なことを書くなら『駒落ち新定跡』のときに書いたものがそっくりそのまま今回にも当てはまる。駒落ちはある意味「負けて覚える」ためのシステムなので、それを楽勝してしまう定跡では意味がない。もちろん、既存の駒落ち定跡の作り物感というか胡散臭さはよーくわかった上で、それでもさすがにここまでやるのは「やりすぎ」なんじゃないかと。で、実はこの考え自体は変わっていないので、それが評価にブレーキをかけているところはある。
ただ、改めて考えてみるに、これから将棋を始めよう、これから強くなっていこうという人に、「負けて覚えろ」と言うのは、「茨の道を歩け」と言っているのと一緒で、そんな大変なんだったらやーめたっ! ということにもなりかねない。そうでなくても、「負けて覚える」よりも「勝って覚える」ことができるんであれば、それはそれで楽しいに違いない。
というわけなので、褒めて伸びる子もいるわけだし、本書のような駒落ちを指すというのも十分にアリだとは思う。