まぁ、まずはなんにも言わずに第1図を見て下さいな。
相手は振り飛車ですぜ先生。
なんで矢倉棒銀(爆)
しかし、これが加藤流なんだそうだ。
実際、白砂もカトピン先生が書いた本を読んだことがあるのだが、対振り飛車の戦法として当然のように矢倉棒銀が載っていた。結婚の際のドタバタで無くなってしまったのだが、なかなかにインパクトのある内容だったと思う。
本局は昭和52年のNHK杯、対升田戦。先生はガチでこの形に組んでいるのである。
ところがどっこい、まだまだ先がある。
なんで矢倉崩し……(爆)
ちなみに、このあとは▲6八角(あとで▲4六歩▲4五歩とした)からじっくりとした戦いになり、第3図。
ここで△3二飛が冷静な好手で後手が有利になった。
手順は△3二飛以下▲4七飛△3五歩▲7三角成△同金寄▲2七銀△5八角▲4八飛△2五角成(第4図)。
△4六角▲同角と飛角交換するよりも、△3五歩と攻める方が得だという冷静な判断である。実際、△4六角▲同角△7三金寄は直後に▲3一角くらいでまずそうだ。
第4図となっては振り飛車の形がよすぎるし、なにより居飛車の矢倉がちっとも固くない。これは矢倉戦法が失敗した形だろう。
棋理的に言えば、矢倉は横に強い囲いではないので、振り飛車戦には向かないと思う。玉頭位取りくらいまで上に勢力を作れば、▲7七玉から▲6六玉と耐えるといったように「広さ」で勝負できるのだが、矢倉ではそれもできない。
しかし、それでも指し続ける加藤先生には頭が下がる。
B1では1-3と振るわない成績だが、もう一度旋風を巻き起こしてほしい棋士の一人だ。