私のパソコン遍歴

〜 白砂、コンピュータの存在を知る 〜

 白砂は1970(昭和45)年生まれで、これを書いている2001年6月現在で31歳です。
 おそらく、コンピュータの歴史、パソコンの歴史からすれば、アップルコンピュータやNECのPC-6001などから語らないといけないんでしょう。しかし、ごく普通の家庭に育った白砂はそんなもんの存在を知らないまま小学生時代、中学生時代と過ごしていきます。まぁ、当然といえば当然なんですけどね。
 というのも、現在と違って、マイコン(と当時は呼ばれていた)は超高級品で、おまけに役立たず(笑)。マニア以外に手を出す人はほとんどいない状況でした。もちろん企業などでは別だったのかもしれませんが、それは別のお話。少なくとも、市井の人達にとっては縁のない世界だった筈です。

 そんな時、当時住んでいた団地(なんだか懐かしい響きだ……(笑))の隣に引っ越してきたのが、加悦さんというご夫婦でした。
 全く記憶がないんですが(爆)、多分30代の方だったと思います。ウチの母親と加悦(妻)(←書き方が無礼(笑))さんはすぐに意気投合したらしく互いの家を行き来してはムダ話に花を咲かせていたようです。
 で、白砂も一度だけ家にお邪魔させてもらったことがあるのですが、その居間に鎮座ましましていたのが、なんとマイコンだったんです。

 なんだか普通と違う机(パソコンラックなんて言葉は当然知りません)の上に、テレビがで〜んと乗っかっていました。その下にはなにやらよく判らない鉄の塊(笑)と、雑多に置かれた箱がいくつも。本もいっぱい置いてあったと思います。

 これが、白砂のコンピュータ初対面の瞬間でした。当時中学3年生です。

 いろいろ説明してもらったのか、それとも全て忘れてしまったのか(笑)、何を言われたのか全く覚えていません。しかし、将棋ゲームと「倉庫番(パズルゲームの金字塔ですね)」をやらせてもらったのはよく覚えています。
 将棋は当時から好きでやっていて、おそらく初段弱くらいはあったと思います。ですから当時のマイコンでは勝負になる筈はない(2001年現在でやっとアマ4段くらいですから、当時はきっと10級とかそれくらいだったんでしょうね)んですが、それでも面白くて何度も何度もやりました。
 倉庫番も楽しかったです。パズルゲームというゲームすら知らなかったもんですから、そういう知的ゲームが好きな白砂はすっかりハマってしまいました。中3当時の脳ミソではその時2面クリアがやっとだったんですが、その面白さと難しさは格別でした。
 結局、なんだかんだで2、3時間、パソコンの前から動かなかったと思います。引き剥がされるようにディスプレイの前を後にし、家に帰った時には11時を廻っていました。

 実は、白砂が加悦さん宅にお邪魔したのはこれ一度っきりです。そのすぐ後、奥さんが妊娠したとかでそこを引き払ってしまったためです(実家に帰ったんでしょう)。
 最初の数日こそマイコン熱に犯されていたものの、対象が手に届かないところに行ってしまうと冷めるのも早くて(<こら)、その時のことはすぐに忘れてしまいました。

 そうしてコンピュータと縁のない生活を続けながら、白砂は高校へ進学しました。