さて、時代はここからずーっと飛んで大学卒業後です。
ちなみに大学時代はず〜っとゲームをしていました。というかワープロを買ってそっちで小説を書いていたので、X1-turboIIはゲーム&テレビ専用機と化していたんです。
ファミコンやスーファミも買っていろいろプレイはしたんですが、それは本編とは関係ないので割愛。パソコンの話ですもんね。
とはいっても、本当に大学時代はパソコンと無縁だったんであんま書くことないんですよね〜。
ほとんど唯一の接点が推研(駒澤大学推理小説同好会)で、ここで大江に頼まれてX68000を秋葉原まで買いに行ったり(そのまま2人で箱を抱えて下宿まで運んだ。マジで重かった(笑))、田原の家で麻雀とかシムシティー、ポピュラス(笑)をするくらいでした。思い返せば、白砂にとってこの時期のパソコン(マイコン)はタダのゲーム機だったようです。
そんな白砂のパソコン空白時代、パソコンの主流はMS-DOSからWin3.1に、そしてWindows95になっていました。もうHDDもついていないX1-turboIIの時代ではないようです(泣)。
しかし、さっきも言いましたけど白砂はこの頃は小説執筆一本槍で、ワープロがあればそれで十分、というコンピュータライフ(ワープロをコンピュータに入れてもいいのかなぁ……?)を送っていましたので、時代に取り残されていたもののそれに困ってはいませんでした。大学2年の夏に、バイトで貯めたお金で買ったのがSHARPの書院。型番はもう忘れましたが、お医者さんの鞄みたいなぶくっとしたタイプの外観で、キーボード部分が横にへばりつく(笑)ようになってました。
この後からの型はFDDが1枚しか入らないタイプだったんですが、このワープロはFDDを2枚入れられたんで凄く便利でした。SHARPの場合、セーブするFDDとは別にユーザー辞書FDDというのもあって、1枚しか入らないタイプだとセーブのたんびにFDDを入れ替えないといけないんで不便なんです。2枚入ると、ずーっとFDDを挿しっ放しにしてもいいんでラクでした。ペン書院だかなんだか知りませんが、そんなことよりFDD2枚挿しにしてくれた方がずーっとラクだったのになぁ。
さて、話がぶっ飛んじゃったんで卒業後ね(笑)。
白砂の入っていた将棋愛好会に脇田という男がいて、脇田が新しいパソコンを買ったのを機に、古いパソコンを手放すということになったらしいんです。で、どうせだったら俺が買うぞということで、3万円で白砂が引き取ることになりました。
PC-9821FA/U2というマシンで、高性能ながら販売タイミングが激悪だったらしく、ネットを漁ると怨み節がほうぼうから聞こえてきます(笑)。
CPUは486DX2。メモリは8M分増設してあって9.2M。ハードディスクがSCSI1.2GというX1-turboIIとは比べ物にならないスペック。
あぁ、HDDってべんりなんだなぁ……(感涙)。
白砂にとって、このマシンがMS-DOSとの出会いでした。
となるとここでDirやらFormatやらを覚えたんだろ……と思われるかもしれませんが、違うんです。白砂は今でもDOSのコマンドはほとんど知りません。
というのも、脇田が使っていたこのマシンには「DiskMagic」(だったと思う)なるソフトがついていて、使いたいソフトを登録しておくとクリック一発で起動できるという、ちょっとWindowsっぽい感じで使っていけたんです。また、細かいファイル操作なんかも専用ユーティリティーがあったのでコマンドはほぼ使わず。なんで、DOSを使っているにもかかわらずDOSコマンドを全く使わないまま運用していました。
今考えると、ちょっとやっときゃな〜と思います。
少しでも手をつけとけばUNIXのコマンドなんかもすぐ覚えられたと思うんですよね。白砂はまだLinuxには手を出してないんですが、将来的にはLinuxもやってみたいと思ってますし。そうなると、いくらXがあったってコマンドは必要ですしね。
そういったわけで、結局白砂はMS-DOSを手にしたもののMS-DOSを何一つ知っちゃいないという非常にもったいない使い方をしてしまいました。今でも、たまに「白砂さんならDOSコマンドとかバッチファイルとかちゃちゃっとやっちゃうんじゃないの?」とか聞かれるんですが全然知りません。いや、ホントにもったいなかったなぁ……。
しかし、白砂も別に『極II(将棋ソフト)』と『麻雀登竜門』しかやってなかったわけじゃないんです。
その他にも『信長の野望』とか……ぢゃなくって(爆)、一応ゲーム以外の使い方もしていました。
その代表格が、次項にお話しするC言語です。