白砂の高校時代は、一言で言えば図書室での生活に尽きると思います。
人見知りをする内気な白砂少年は(<今笑った奴ブッ殺す)、クラスではほとんど友達というものができませんでした。多分高校時代の3年間で10人もいないんじゃないでしょうか。
しかし、図書室では内弁慶ぶりを発揮し(笑)、延べで2、300人はいようかという様々な人達と出会うことができました。神奈川県の「図書委員会会議」のようなものにも出席させていただき、その被害(<こら)を校外にまで広げる悪逆非道ぶり。いや、ホントに楽しかったなぁ……。
あ、コンピュータの話でしたね(笑)。
1年生の3学期頃でしたか。
図書室の常連さん(笑)に1人の先輩が加わりました。名前を岡部といい、私より1コ上の人でした。
人間的には決して褒められた人物ではありませんでしたが、というかこう書いちゃうことが岡部さんにとって褒め言葉になっちゃうということ自体が人間的に問題ありなんですが(笑)、この人の最大の「変」はその制服の下にありました。
白砂の通っていた綾瀬高校では制服はブレザーだったんですが、ブレザーには両の胸に内ポケットが2つありました。そのポケットに、岡部さんはポケットコンピュータを3台、常に忍ばせていたんです。
ヤボな話をすれば当然校則違反なんですが、岡部さんも友達の少ないタイプで(笑)、それをツッコまれるということ自体がなかったようです。でまた変わったことに、そんなにいっぱい持っているポケコンを別にどう使う……というわけでもなく、敢えて言うならポケコンを集めるのが趣味、みたいな人だったんです。
もちろん、『マイコンBASICマガジン』に載っているプログラムを打ち込んだり、付属のプリンタを買ってきてワープロみたいに使ったりといろいろやってはいるみたいでしたが、白砂の見た感じではあんまり「のめりこむ感」はなかったように思いました。今で言えば「自作PCオタ」と似たようなもんなんでしょうか(笑)
岡部さんはSHARPにご執心で、「ポケコンはSHARPだ」と常日頃から言ってました。性能比データを並べ立ててみては「だからSHARPなんだ。CASIOなんて名前だけでちっとも良くねぇんだぜ」などと言うわけです。もっとも、確かに岡部さんの言うことは一理あって、性能比はダントツでSHARPがよかったと思います。なにしろディスプレイが4行(!)あったりするわけですから、そこらへんの電卓の親戚みたいなポケコンでは勝負になりません。
また、ファミコン嫌悪もこの人の特徴で、ことあるごとに「あんなもんコイツより性能悪いんだぜ」などと言っては懐のポケコンをかざして見せていました。まぁ、初代ファミコンのCPUなんて実際にクソみたいなもんですから(笑)、言ってることは間違ってないんですが……。
で、こんな先輩が側にいると、白砂も興味を持つわけですよポケコンに。
なかでも白砂が一番興味を持ったのはプログラミングというものでした。
「自分の好きなことができる!」
大いなる誤解なんですが(笑)、当時は本当に驚き、またやってみたいと思っていました。図書室にあった『マイコン』『ベーマガ(マイコンBASICマガジン)』はバックナンバーまで遡って全て読みました。プログラムのことがいろいろ書いてあったからです。特に『ベーマガ』の方は、入門者(初心者、ではない)向けの記事が多かったので勉強にもなりました。
これが、白砂とBASICとの出会いでした。
BASICを実際に走らせる(実行できる)環境がないにもかかわらず、BASICを勉強していたわけです。今考えると無茶なことをしていたもんだと思いますが、でも、逆に考えれば実際にやりながらできない分、構文とか書式なんかを雑誌の見本通りに理解していけたんだと思います。「よく判んないけど動いてっから正しいんだ」みたいな、曖昧なものがなくなったんではないかなと。
しかし、当然のことながらそんな覚え方では限界があります。
その結果、白砂の中でどんどん「パソコン欲しい菌」が繁殖していくことになりました。