手出し・ツモ切りを記憶する方法

 初めて投稿します。
 ネームは自分の麻雀観からとったものです。かなり打てる人達がこのHPに関わっているようで意見は言いづらいですね。

 さて本題ですが、私は手出しかツモ切りかは全て覚えるに越した事はないにせよ、現時点の自分の雀力で観察した結果印象の強い打牌を覚えればそれで足ると考えます。ツモ切りの印象が強いと言う事は少ないので、手出しの一部を覚える事になるでしょうか。
 将棋や囲碁の手順が全くの数字の羅列より覚えやすいのは、それに意味を見出せるからでしょう。麻雀でも同じで、何らかの意味を持たせられる打牌は覚えやすいのに対し、序盤のオタ風がツモ切りかどうかなんかは覚えにくいものだと思います。

 例えば、が切れて随分後にが手出しの場合、その時点で色々考える事はあると思います。が対子かも、辺塔固定かも、が暗刻かも、完成かも、完成かも、三色志向かも、他の色で234が崩れたかも、七対子の受け替えかも等々です。このような思考が僅かでも脳裏をよぎればが手出しだったことなど忘れるはずも無いでしょう。
 逆に、打牌の時点でそういった思考が浮かんでこなければ、後で考えてもその意味を見出せる事は少なそうです。ならば印象の薄いものをわざわざ覚える必要性は少ないでしょう。

 要は、敏感に打牌の意味を感じられるように集中しておくことが肝心で、その上で印象に残っているものは覚える(というか覚えてしまっている)、印象に残っていないものは覚えない、というスタンスで問題ないように思います。
 プロ同士の対局などでは、殆んどの打牌について考えをめぐらせる結果、手出しかツモ切りか覚えているということなのではないでしょうか。

 えー。
 最近更新をサボっている白砂です(あれ? デジャヴ?)。

 Yahoo! 掲載が大きかったのか、物凄い伸びでカウンターがぐるんぐるん回り、同時にいろんな人が意見を言ってくれるようになりました。嬉しい限りです。
 この「手出しとツモ切りの記憶」についても、意見を言ってくれた方がいたのでご紹介しました。mjdigitizerさんです。HN(ハンドルネーム)の意味は見ての通りということですが、白砂は英語が毛虫より苦手、アタマについてるmjがmarjongの略に気づいたのがなんとついさっきという体たらくです(泣)。

 さて。
 ご意見の要旨としては要するに「きちっと考えて打ってれば、何を考えたかは覚えてる筈なんだから手出し・ツモ切りの記憶もできるだろ」というものでしょう(何故乱暴な口調になる……?)。
 ただ、敢えてちょっと反論させてもらうとするならば、実はそうでもないような気がします。


 白砂が将棋をやっているということはこのHPを読んだ方であればご存知だと思いますが、今でこそ棋譜起こしなんぞ簡単にできるものの、昔はその対局が終わってすぐなのに再現できない……ということが数多くありました。

 忘れもしない私が1年生の時の秋季古豪新鋭戦(要するに団体戦に出られなかった二軍で戦う大会)のことです。今よりは格段に弱かった白砂ですが、それでも2段前後はあったかと思います。その頃は物凄い早指しで、おそらく感性と反射神経だけで指してたんでしょう。
 その時の2局目だったと思います。初日全勝でターンした白砂は、駅を間違えて遅刻、全勝を逃すという大失態をやらかしました。しかしそれでも2局目には逆転の末勝利をGET。そこへ、当時4年生だった高井さんがふらりとやってきて言いました。

「今の将棋の棋譜、書いてみ」

 ホントに今終わったばっかりだったのに、しかし、棋譜が起こせません。序盤は定跡通りに進んだので(当時はまだ普通の将棋を指していた。今は……聞くな(笑))まだいいんですが、中盤のねじり合いになってくるともうダメです。結局、棋譜は再現できませんでした。
 そんな白砂に、高井さんは言いました。

「棋譜が起こせないのは、指し手に一貫性がないから。その場その場で最善手を考えているから、将棋を流れとして覚えられないんだ」

 くどいほどに言いますが、当時の白砂はそんなに弱いというわけではありませんでした。結局その年の古豪新鋭戦も5戦全勝1不出場でしたし。
 しかし、それでも覚えられないんです。
 何故か?
 指し手をその場その場で考えていたからだったんだと、今になれば高井さんの言葉の意味がよく判ります。


 なんだか回り道をしてしまいましたが、私の言いたいのは「ただその場で考えているだけでは記憶には残らない」ということです。

 3順目、親から早めの中張牌が出された。なんか手が早いのか……と思う。しばらくたって今度は字牌が出てきた。なんだろう? 安全牌を落としたのか、それとも対子落としか。
 ところがそれを西家がポン。
 あ、西家はそう言えばホンイツ臭い捨牌だった。ここで字牌をポンかぁ……でも、他の色が出てきたってことはまだまだテンパイじゃなさそうだな。

 ……などということを「その場その場」で考えて、果たしてそれが記憶できるのか? ということなんです。

 覚えられる人は「それくらいできる筈だ」と言うでしょう。
 しかし、親が字牌を切った時に、すぐさま3順目の中張牌の早切りに頭が回る人であれば苦労はしないんです。初級者は、きっと9順目に親がリーチをかけた時、字牌が手出しだったことさえ忘れているでしょう。

 麻雀における記憶の難しさは、こうなると見えてくると思います。
 囲碁や将棋の場合、自分の手は相手があってのもので、また、相手の手は自分の手に呼応してのものです。
 麻雀でももちろんそういうやり取りはあるんですが、囲碁将棋などに比べるとはるかに希薄で、また、4人であるというためにそれは更に分散してしまいます。
 そのために、1手1手を流れとして理解することが難しいんだと、私は思います。


 結局、覚えるのは根性しかないのか……というのが白砂の考え方です。というか、記憶の方法を体系づけて指導するのは不可能なんじゃないか……というちょっと厭世的(誤)な考えに傾いています。
 mjdigitizerさんややくまんぼうさんなどが提唱してくれた考え方は、指針にはなると思いますが体系化はできないだろうなぁ……というのが今の私の気持ちです。

 ただ。
 世捨て人的(<だから違う)な考え方で諦めている白砂ですが、でも、その指針を示してくれたことそのものは重要だとも考えています。譬えて言えば、英単語を覚える時のようなゴロ合わせみたいなものは提示できないけども、口の中で100回言うときっと覚えられるよと教えてくれたような感じです。

 残念ながらラクして覚える方法なんてないんです。でも、王道を進んでいれば間違いなく記憶できるようになるんだという道を、2人は示してくれたと、白砂は考えます。


 そうそう。
 やくまんぼうさんからも、こんな言葉が届いています。

 全く同感です。俺もこのやり方で、手出し・ツモ切りを覚えています。ただ、それは相手が門前の場合の話。相手が鳴いているときは全て見るべき。特に三副露の場合は1点で読めることが多い。

 リーチについては、勝負にいくのはこっちの手に勝機がある時だけでしょ? それ以外ふりこむなんてありえないと思います。ダマテンについては国士とメンホンが分かれば充分。その他の闇テンについては、中盤に余分な中張牌を切り捨て、引き締まった牌姿にしておくことで個人的には対応しています。
 これはリーチに対しても言えることで、余計な中張牌を抱え込むことが放銃につながるのです。

 リーチには、場切れの字牌・ノーチャンス・ワンチャンス・スジ・早い三七切りの外筋(一二八九)でしのげます

 うーん、なんか別の意味でまた議論を呼びそうだなぁ……(笑)。
 特に、ムダな中張牌を切り捨ててスリムに……という考え方は、伏土竜の講座真っ向勝負(笑)です。


 mjdigitizerさんの次の意見はまた次回に。
 皆さんのご意見をお待ちしています。