将棋コラム
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米寿祝図 |
Date: 2005-03-24 (Thu) |
3月27日に、白砂の祖父が米寿の祝いを行います。
おじいちゃんは、将棋における白砂の最初の目標でした。
白砂が将棋のルールを覚えたのが、確か小学校2年生頃。教えてくれたのは父で、当然最初の壁でもありました。しかし、自己流ながらそこそこに才能はあったのでしょう(←自慢(笑))しばらくすると父は私の目標ではなくなっていました。
そこに立ちはだかったのが、誰あろう白砂のおじいちゃんです。
白砂は当時から神奈川県在住で、おじいちゃんもやっぱり神奈川県に住んでいました。そのため、月に一度くらいは祖父母の家に遊びに行っていたと思います。そこで、もう白砂を止められなくなった父が、おじいちゃんと将棋を指すことを勧めたのです。
当時どういう将棋を指していたかは全く覚えていません。
ただ、全然歯が立たなかったことだけは確かです。
時間的な制約や体力的な問題、将棋の相手ばっかりしてられないなどもろもろの原因が重なって、一回の訪問で指せる将棋は2局のみ。ところが、何回やっても2連敗で家に帰るのが常でした。
たまに、本当にごくたまに一発入ることはありました。そんな日は帰りの電車でゴキゲンだったのですが、それが実力によるものではないことは当時の小学生にも推察できていました。
おじいちゃんに実力で勝ちたい……!
こういう時、その人間の資質と環境が出ますね。
ぶつかり稽古で鍛える者。理論武装に走る者。相手を研究してウラを取ろうとする者(笑)。
白砂が選んだのは、とにかく本を読みまくることでした。
そもそも白砂自身が「頭で理解しないと先へ進めないタイプ」であったこと、将棋の強い人間が周りにいなかったこと、小学校5年生になったその時、ちょうど綾瀬市立図書館が開館したこと。様々な要因が重なりましたが、とにかく白砂は棋書を読み漁り、盤駒で研究するという勉強法でおじいちゃんに挑み続けました。
互角になった……と思ったのが中学生くらい、完全に超えたなと思ったのは、実に高校生になってからだったでしょうか。
それほど、おじいちゃんの壁は高く厚いものでした。
念のために言っておくと、白砂が取り立てて弱かった、というわけではありません。
その証拠に……というわけではありませんが、中学校時代に将棋が流行った時、白砂は同級生を相手に6枚落ちで指していて、しかもほとんど負けなしの状態でした。
その棋力をもってしても、おじいちゃんに対してはやっと5分の星だったんです。
高校生になって勝ち越しはしましたが、白砂が高校生っていうのは20年も前の話。つまり、今年米寿のおじいちゃんは当時63歳くらい。50歳から60歳にかけて年齢的な衰えが来ただけかもしれません。白砂が勝ったというより、おじいちゃんの棋力が落ちただけと言えなくもないんです。
それでも凄いなぁと白砂が思っているのは、実力的にひっくり返され、だんだん勝てなくなっていても、それでも白砂と将棋を指し続けた、ということです。
こういう表現はよろしくないかもしれませんが、還暦を過ぎた頃になれば、将棋は楽しむもの、負けとわかってる将棋を指してなにが楽しいんだと考えてもおかしくないでしょう。
しかし、おじいちゃんは違いました。
何度でも、白砂に挑戦してきました。そして負ける度に悔しそうな顔をしながらも、しかし満足そうに駒を片付けてお茶を飲むんです。
目もだいぶ悪くなっていたはずですが、部屋に定跡書を見つけた時には驚きました。メモに書かれた手書きの詰将棋は、白砂が一瞬で解いたNHK将棋講座のものであるとすぐに判りました。ビデオも持たずテキストの存在も知らないおじいちゃんのことです。画面に映るその数十秒の間に、盤面を必死に書き写したに違いありません。
本当に、おじいちゃんはすごい。
心から思いました。
まぁ、元々おじいちゃんは凝り性とというか好奇心旺盛な方で、若いうちに東京に飛び出してきて、仕立て屋の腕一本で世間を渡ってきた、という人間です。川崎駅前の高島屋が新しくなったと言っちゃあわざわざ出かけ、花見はするもんだといいながら小田原まで一人で桜を見に行ってしまうような人間です。将棋に対しての情熱も、おじいちゃんにすれば、ごく当たり前の情熱でしかなかったのかもしれません。
それでも、なかなかできることではない、と思います。
両親からは、よく「お前はやっぱおじいちゃんの孫だね」と言われました。
とんでもない。
白砂なんて足元にも及びません。
白砂にとって、おじいちゃんはいつまでもやっぱり「すごいひと」です。
そんなおじいちゃんが米寿を迎えます。
孫はそれぞれが手紙を書くこと、なんて厳命(笑)が下っています。けれど、言葉を並べても、白砂のおじいちゃんに対する思いは伝えられないでしょうし、伝える必要のものかどうかもわかりません。
白砂のできることは……。
そう思って2週間。
大変でした。
できる人から見れば稚拙なものかもしれません。
けれど、これが今の白砂にできるせいいっぱいです。
おじいちゃんへ。
米寿、おめでとうございます。
これからもずっと、白砂の尊敬するおじいちゃんでいてください。
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